9月に誕生日を迎えてまたひとつ歳を重ねたわけですが、ふと「この先、自分に残されている時間」について、これまでになくリアルに考えるようになりました。
そうした時間の有限性に意識が向いたのには、今年経験した大きな環境の変化も関係しています。約13年ぶりとなる転職という、自分にとってはとてもとても大きなチャレンジとなる決断をして、幸いにも試用期間を無事に乗り越えることができました。本当に続けることができるのかは内心不安だらけで、とはいえここからが本当の勝負というところですが、とはいえ区切りは区切り。生活の激変と張り詰めていた緊張が一段落したタイミングだったのです。
もともと、自分の中に強烈な「Will(やりたいこと)」がないこと自体には薄々自覚的でした。けれど、大きな山をひとつ越え、ふっと肩の力が抜けたシルバーウィーク。静かに自分の内側を覗き込んでみて確信しました。
やっぱり薄いのです。いや、薄いというより、本当に「ない」に近いのだと気づきました。
仕事のWillは「何をなすべきか」の中にだけある
キャリア論でよく使われる「Will-Can-Must(やりたいこと・できること・やるべきこと)」というフレームワークがあります。
今の自分に引きつけて考えると、「Will」単体の熱量は非常に淡いものです。例えば「何々技術やりたい」「何々サービスやりたい」「何々ポジションを得たい」といったことは今は心の中に見当たりません
あえて言うなら、いまの自分のWillは組織や事業貢献を目指すことを前提として、どのような変化を求められているか、自分からどのように変化を作っていけるかという、MustやCanの延長線上にあります。そういうことについて、挑んでいくわけです。
ですが、視点を「仕事」から「人生全体」に広げてみると、少し話が変わってきます。
人生のMustやCanとは
過去のあれこれを脇に置いて、「これからの人生で何になりたいか、何をしたいか」を自問してみました。
出てくる答えは、あまりにもミニマルなものでした。
- 日々の食事を丁寧につくる
- ウェイトトレーニングして身体を整える
- コードを書く
- 本を読む
- 散歩する
- たまにテックコミュニティの勉強会や交流に顔を出す
これはこれで楽しいし、価値はあるし、大事とも思います。
でも「Will」かというと、人生体験としてさすがにまだできることが、やることがあるんじゃないだろうか。
そんな折に出会ったのが、「バケットリスト(死ぬまでにやりたいことリスト)」でした。
このやりたいことというのが難しくて、「そもそも自分は何にワクワクするのか」を沸き立たせる力は、すっかり錆びついていたようでした。
- 「どこかにマイル」「どこかにビューーン!」で、行き先を決めずにふらっと旅をする
- 筋肉量を増やす、挙上重量を増やす
- 体脂肪率を落とす
- 博物館にたびたび足を運ぶ
- 未知の技術を学びにいく
パッと上がったのはこれぐらい。仕事では問題定義と解決の検討はけっこう着想を得られるのに、自分のこととなったらこの有様というのは今の現実。これをいかにやっていくかだけでなく、どのようにリストを育てていくかということそのものもリストインした方がいいかもしれません。