「懇親会が本番」を捉え直す
勉強会、セミナー、学会、研修、カンファレンス。人が特別に集まるところには、だいたい懇親会がついてきます。そういう場から出てきた言葉に「懇親会が本番」があります。
懇親会という一種の祭りの場には、開放感と酒食があります。そこから新しい何かが生まれたり、つながりを得られたりする、得難い時間だと思います。懇親会が楽しいからということがちょっとしたご褒美になって、参加そのものの後押しになるという効果もあるでしょう。
同時に、懇親会で望まぬぼっちになることに苦しむ人もまた多くて、その悩みはあり続けています。わたし自身、昨年その懇親会ぼっちをテーマにした独自研究をお話ししました。
それはさておき、最近のソフトウェア系テックカンファレンスで思うのですが、別に辛い思いをしてまで懇親会に参加しなくてもいい。たとえば、酒食とともに不特定の多くの参加者と交流したい気持ちが高くなったら行ってみればいいのではと思うのです。
「懇親会が本番」というのは、ただ一方的に聞くだけじゃなくて、参加者としても話をしたり、聞いたことを実際にやってみるための追加情報を得るといいよということだと思っています。それならスピーカーへの質問として質疑応答のパートやAsk the speakerがあったり、ディスカッションなら「廊下」もあったりするわけです。
もはや交流の経路は、懇親会だけじゃないのです。
もちろん懇親会の価値は変わらずあります。価値があるよねと思われているから開催されているわけです。ただ、「懇親会が本番」という言葉のほうが一人歩きしすぎたんじゃないかと思います。
参加者は参加者として、どっぷりいくとき、さらっといくとき、いかないとき、適当に制御しようよ。
わたしもそのつど決めています。次に足を運ぶ場でも、当日の体力と、会いたい人がいるかどうかで決めようと思います。